100年前のロマンス

20190105211918 王室のロマンチックな話はいつの時代も人を魅了するものです。

約100年前にあった、ヨーク公爵殿下がエリザベス・ボーズ=ライアン嬢と結婚するまでのいきさつが微笑ましくて素敵なので、長くなりますが紹介します。

 

 

1920年、24歳のアルバート王子は、父王からヨーク公に叙されます。

それは次男に公的立場を与えることで、王室の一員として公務に努めるよう自覚を促すものでありました。

兄弟たちはそれぞれつきあっていた女性がいましたが、国王は不適切な相手とはつきあわないよう息子たちを戒め、結婚相手を早く見つけるよう急かします。

父親には逆らえないバーティは不満を言いつつ別れますが、ほどなく運命の女性と出会うことになります。

 

 

同じ年の6月に(5月20日という記述もあり)バーティは母と妹、弟と共にレディ・ファークワーが主催する大規模なパーティに出席します。

そこには8月で20歳になるエリザベス・ボーズ=ライアン嬢もいました。

実家はスコットランドの貴族ストラスモア=キングホーン伯爵家で、幽霊が出ることや「マクベス」に登場することで有名なグラームス城(写真の城)を所有しています。

名門貴族の四女のエリザベスはこの年に社交界デビューをし、瞬く間に注目の的となっていました。

パーティの席上、バーティは彼の侍従であるジェイムズ・スチュアートと話をしていた彼女を見て、あの愛らしい女性を自分に紹介してくれとスチュアートに頼みます。
たちまちエリザベスに恋したバーティですが、彼女にはスチュアートだけでなく他にも数人の崇拝者がいて、内気な彼が勝ち抜くにはかなりハードルが高い競争でした。

 


実はアルバート王子は10歳のとき、子供たちのためのパーティで青と白のドレスを着て髪にリボンを付けた5歳のエリザベスと会っています。

エリザベス嬢は、自分のケーキの上に乗ったチェリーをアルバート王子に差し上げるという微笑ましいことをしました。

このエピソードは、ライバルに対しけっこうなアドバンテージになったでしょうが、そんなことをバーティが覚えているはずもなく…。

テニスの腕前を披露するなど彼なりの精いっぱいのアピールをしますが、大勢の中の一人にとどまっています。
それでも、その年の9月にはグラームス城であったパーティに遊びに行ったり、口実を見つけてはエアリー伯爵夫人のフラットで会って他の人と混じりながらも互いに楽しくおしゃべりをしたりと、いい展開になっていきます。

冬頃になると母のメアリー王妃にも息子が恋に落ちていることは、彼がエリザベス嬢の話ばかりするので、すっかりばれていました。
翌年春に結婚の打診をしますが、エリザベスはお断りします。

いくら貴族のお嬢様でも20歳になったばかりの活発な若い女性にとって、束縛される生活は考えられなかったからでした。

 

 

断られたほうのバーティは失意のどん底

恋の行方を見守っていたエアリー伯爵夫人らは心配し、彼に次のいい人が現れるようにと願います。
しかしバーティは希望を捨てきれませんでした。

断ったあともエリザベスはバーティに対して冷淡な態度を取ることはしませんでしたし、二人はよい関係でいました。
9月には詮索好きなメアリー王妃は息子を伴ってグラームス城を訪問し、エリザベスは母が病気で寝込んでいる間、代わりに客人の接待をします。
エリザベスに会ったメアリー王妃は彼女こそバーティを幸せにしてくれる唯一の女性だと確信しますが、ここで親がしゃしゃり出ては却って逆効果になると口出しすることはやめました。

ですがバーティの侍従で最大のライバルだったスチュアートが1922年に渡米で脱落したのは、何らかの手回しがあったと想像できなくもないです。

ジェイムズ・スチュアートスコットランドの良家の三男であり政治家を志す野心家で、自ら身を引くタイプではなかったようです。

のちに第一次チャーチル内閣でParliamentary Secretary to the Treasury大蔵副大臣に任命されたり、戦後はスコットランド担当大臣になったりし、初代フィンドホーンのスチュアート子爵に叙せられています。

1923年の帰国後に、(ヨーク公の結婚のあとですが)結婚もしています。

ハンサムなスチュアートをエリザベス嬢がどう思っていたか今となっては不明ですが、彼には婚約解消をした前歴があり、敬虔なエリザベスや両親からすると懸念するところだったのではないでしょうか。

一方の バーティは恋に対し引っ込み思案でしたが、ハンサムで生まれもったエレガンスさがあるだけでなく誠実でユーモアもあるジェントルマンで、エリザベスのような保守的な女性には好ましいものでした。

多分に傷つきやすい面もありますが、母親的なところがある彼女は却ってシンパシーを抱いたのかもしれません。

  

 

1922年になると王室では妹のメアリーが結婚し宮殿を離れます。(Wikiによると、この頃に2回目の求婚をしたと書いてあります。)
従兄弟も婚約が決まるなど周りで次々と知り合いがゴールインし、バーティはさらにプレッシャーを感じることとなります。
側近のルイス・グレイグは当然のことながらやきもきしますが、若い主人の相談に乗るには年を取りすぎていました。

そこでグレイグは、最近結婚した若い下院議員J.C.C.ダビットソンが相談相手にうってつけだと考え、急遽彼に電話をし、数日後に行われるフランスでの第一次大戦の追悼記念碑の式典へ出席してもらいたいと頼みます。

その式典はヨーク公の公務でもあり、イギリスへ戻る軍艦にダビットソンは同乗することになります。

 

式典の映像ありました。1922年の7月25日です。

 

帰りの船の中で二人きりになったヨーク公は近い年代のダビットソンと会話をするうちに打ち解け、王室であることの不自由さと窮屈さをこぼし、ダビットソンのように自由意思で決められることを羨ましがります。
ヨーク公が悩みを抱えていると感じたダビットソンが何か力になれることがないかと尋ねたところ、聞いてくれる相手を求めていたためか彼は恋に悩む苦しい胸の内を打ち明けたのでした。
そこでダビットソンは、結婚の承諾をもらうまで何度も断られた自分の経験を話します。

それに対し、国王の息子の求婚は拒絶にあうことは許されず、そのため使者を送ったが断られたと言うヨーク公に、ダビットソンはアドバイスをします。

今の時代に代理を介してのプロポーズを受ける女性はいない、彼女があなたのことを好いているというのであれば自分自身で彼女に申し込むべきです、と。
勇気付けてくれる相手と率直なアドバイスを求めていたバーティは、ダビットソンの言葉に励まされます。

一方、のんびりとしたエリザベスでしたが、バーティの熱意は次第に影響を及ぼし始めます。

エリザベスの母親は、娘がバーティを幸せにしてあげたいという思いと結婚によって負う責任との間で真剣に悩んでいることに気づき始めます。 

 

 

翌年1923年1月5日のデイリーニュースが、プリンス・オブ・ウェールズスコットランド貴族の子女との婚約が発表される、というニュースを流します。

名ざしはしていませんがエリザベスと分かる書き方でした。
誤報であっても、エリザベスにとっては最終決断を迫られている合図だと分かっていましたが、その決断は容易なことではありませんでした。

貴族であっても王室から見れば一般人であり、結婚して王室の一員になることが自由も選択もない籠の中に入れられ、公の場では常に見られているということをエリザベスは十分過ぎるほど知っていました。

そのため彼女はバーティのやさしさ、愛情などを誰よりもよく知りながらもためらっていました。
そこで、このロマンスを応援していたひとりであるエアリー伯爵夫人は、最後の一押しをするためエリザベスをお茶に招きました。

結婚することであきらめなければならないことがあり伯爵家のしきたりにも煩わされたが、それも愛情へと変わったと夫人はエリザベスにレクチャーします。
バーティのほうも最後のそして最終のプロポーズをしようと心を決めます。

両親にもその決心を伝え、週末の1月13日のパーティに出掛けます。

エリザベスを散歩に誘い二人きりになったバーティは直接プロポーズし、彼女から承諾の返事をもらったのでした。

15日にバーティは結婚の許可を国王からもらい、20日にはエリザベスが両親に伴われてバルモラル城に正式な挨拶に訪れ、ジョージ5世は将来の嫁の愛らしさにすっかり魅了されます。

他国の王室の危機を見ているジョージ5世は大衆に親しまれる王室を目指しており、その点からも一般人であるエリザベスとの結婚は望ましいことでした。

二人の婚約は王室日報で発表されます。(グラームス城のホームページでは1月13日)

さっそくマスコミのインタビューを受けたエリザベスですが、ヨーク公が家族内では”バーティ”という愛称で呼ばれていることも話したため、王室からは以後取材を受けないよう指示されたのでした。

 結婚式は4月26日と決まり、ジョージ5世の意向で、なるべくシンプルなものになるよう準備が進められます。

 

婚約後の報道


All Happiness Attend You! (1923)

 

 

 IWS(産業福祉協会)を介しての友人であるマクビティ&プライスビスケット社のアレクサンダー・グラントからウェディングケーキが贈られることになり、スコットランドにある会社を訪れたところです。(工場内を見学するフィルムも見た覚えがありますが見つかりませんでした)


Royal Lovers - Scotland (1923)

  

20190103182413

 (画像引用元:デイリーミラー

 

 

結婚前のヨーク公から相談を受けたダビットソンですが、未亡人となった直後のエリザベスに当時のエピソードを手紙に書いて送っています。(30年もあとに語ったことなので多少、誇張や記憶違いが入っているようですが)
それに対し、エリザベスからはとても深く心を動かされたという返事がきました。

その内容はだいたいこんな感じですが、彼女が夫を深く愛し尊敬していたことが伝わってきて、夫を失った悲しみの大きさを思うと胸が痛みます。

 
「このような個人的で心を打つエピソードを書いてくださった思いやりに、心からの感謝を申し上げます。(略)陛下の優しさと善良さ、そして他者への思いやりのおかげで、私たちはこの上なく幸せだったとあなたに申し上げなければなりません。彼以外の人と一緒になりたいと思うことは決してないでしょう。あのひどい10年の間、陛下は強い精神と賢明さと勇気で支えてくださいました。お手紙に感謝すると共に、あなたが1922年に国王陛下になさったご助言にも感謝いたします」