国王秘書官というお仕事

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『ザ・クラウン』にはラッセルズやエイディーン、チャータリスといった国王秘書官が登場しますが、秘書官らが公務において重要な役割を担っていることをドラマを通じて初めて知りました。

君主だけでなくロイヤルファミリーのひとりひとりに秘書官が付き公務の手助けをしているそうで、秘書官の仕事や歴代の国王との関わりについて詳しくは君塚教授の『女王陛下の影法師』を読んでもらえばよく分かります。

(エイディーンはアディーンと表記)

  

女王陛下の影法師

女王陛下の影法師

  • 作者: 君塚直隆
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 単行本
 

 


ジョージ6世首席秘書官は、ハーディングとそのあとを引き継いだラッセルズの二人です。

首席秘書官は曾祖母のヴィクトリア女王で三人、父のジョージ5世で三人なので本人が辞職を言い出さなければ長く勤めるようです。

また、首席秘書官の下には補佐する秘書官が複数人いてラッセルズやエイディーンは秘書官補から首席秘書官になっています。

『プリンス~英国王室もうひとつの秘密~(原題The Lost Prince)』でビル・ナイが演じていたジョージ5世の秘書官スタムファーダムは、ジョージ5世からの信認がとても厚く、政治的な助言も適切に国王に対して行い、また、サクス・コバーグ・コーダの家名をウィンザー家にするよう助言した秘書官としても知られています。

ハーディングはそのスタムファーダムの秘書官補として採用され、エドワード8世の秘書官ウィグラムが辞職したあとに秘書官となります。

エドワード8世が退位したあと自動的にジョージ6世の秘書官となり、8年間勤めたあと辞職し、そのあとは秘書官補だったラッセルズが引き継ぎます。

 


ハーディングは非常に有能な人物ですが、融通が利かず柔軟性に欠けるという印象を持ちます。
エドワード8世は国王としては不適格者だったので、どんな秘書官であっても匙を投げるのは仕方ないですが、たとえ尊敬できない君主であっても身を挺して守るタイプの秘書官でなかったのは両者にとり不幸なことでした。

エリザベス王妃の親友のヘレンがハーディングの妻でしたが、ジョージ6世ともハーディングは折り合いはよくありませんでした。
国王夫妻が何かをしようとするとハーディングにNoと言われるので、不満が溜まっていきます。

またバーティにしてみれば、兄が退位したのはハーディングが支えなかったことに一因があるという不信感があったのに違いありません。

君主が間違っていると思ったらあからさまに批判することもためらいませんでしたが、それもエドワード8世と軋轢を生む原因になりました。
ハーディングはチェンバレンの融和政策に大反対で、知人との夕食の席でもミュンヘン条約を恥ずべきことだとボロクソに言っています。

批判も時と場所を考えないと…仕事の場での批判や意見を外で大っぴらにするのは如何なものかと思います。
ジョージ6世とハーディングは仕事のやり方も違い、互いにフラストレーションが溜まっていく中、北アフリカへ視察する国王に同行したハーディングはroyal despatch box(通称レッドボックスのことだと思います)の鍵も一緒に持って行き、残ったスタッフたちが仕事ができなくて大迷惑を被ったという出来事が起きます。
ほどなくハーディングは辞職し、ラッセルズが後任となります。

 

 

『ザ・クラウン』でけっこう目立つ存在のアラン・ラッセルズ(通称トミー)秘書官は、ジョージ6世にとってハーディングより遥かにつき合いやすいタイプでした。

はじめはプリンス・オブ・ウェールズの秘書官補として採用されますが、真面目なラッセルズはプリンスのあまりの自堕落ぶりにあきれ果てます。

秘書官人生でたった一度だけ冷静さを失ったとラッセルズが振り返ったのが、ジョージ5世の健康悪化により外遊中のエドワードにすぐイギリスに戻るように伝える首相の電報に、エドワードがボールドウィンの戯言だと取り合わなかったときです。

英国の国王が死にかけているのが殿下にとり何の意味もないというなら、そのこと自体が我々にとり大問題です、とラッセルズはキレてジョージ5世の回復後に辞任してしまいます。

1935年にジョージ5世の秘書官ウィグラムの補佐として戻りますが6週間後に国王崩御、ウィグラムがエドワード8世の秘書官となるためそのまま秘書官補となります。

そのウィグラムもエドワード8世のお守に疲れ果て、次の首席秘書官にハーディングを指名し辞任します。

エドワードが退位しバーティが即位すると、ハーディングが首席秘書官ラッセルズが秘書官補と横滑りします。

このように新しい国王の秘書官は前国王の秘書官がそのまま引き継ぐことが多いです。

 

 

トミー・ラッセルズは文学を愛するインテリジェントでした。

タイムズ紙にペンネームを使って、議会を解散する国王大権(2011年議会任期固定法によって廃止)について寄稿するほど見識が高い人物です。

彼が書いていた日記からシニカルで観察眼に優れた人物という印象を持ちます。

日記をまとめたKing's Counsellorという本は2006年に出版されているのですが、残念ながらキンドル版はなく中古本も高いので入手していません。

 

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King's Counsellor Abdication and War: The Diaries of Sir Alan Lascelles

 

ハーディングと違って国王のやりたい事を相手に伝え、政治で起きていることを国王に的確に伝えるなどジョージ6世との関係は良好でした。

国王秘書官というのは王室の歴史、伝統、慣習をよく知っていることはもちろん、政治、外交にも通じていなければならないと、なかなか大変な職業ですが、最も大切なのは上司となる国王との相性や信頼関係でしょう。

ただ、ジョージ5世が閣僚とのやりとりを秘書官に伝えて記録させたのに対し、バーティは任せず自分ですべて記録していたというように、父がスタムファーダムを全面的に信頼していたのとは対照的でした。

こういうところも有能なハーディングとは合わなかった原因だったようです。

エドワードも弟バーティも本当に信頼していたのは身内である妻であったとブラッドフォードは書いています。

 

 

ノルマンディー上陸作戦直後に現地を訪れるジョージ6世ですが、ラッセルズも上陸船に同行していて上記の本のカバーはこのときの写真ですね。

 


King George VI On Ship (1944)

 

 

ヘンリープールの顧客リストの中にラッセルズの名前もあり、彼の経歴だけでなく日記についても触れています。henrypoole.com

  

読んでみたら…ジョージ6世がキレたときのことを”Nashville”とコードネームを付けたのがラッセルズ!?

仮にも雇い主というか王様を指して、ナッシュビル注意報発令~とかやっていたんでしょうか(困惑)。

ほかにもエドワードに仕えたせいで人生の最もいい時を無駄に過ごした、とか国王(ジョージ5世)がMVOの勲章をくれたのは息子(エドワード)の面倒を見させるため、とかぶっちゃけてます。

『女王陛下の影法師』では 

性格的にも陽気なトミーは国王との関係も良好で、以後、国王が亡くなるまでその任に当たる。 

と書かれてました。

ドラマではすごく厳格に描かれてますが、実際はもっとユーモアがある人物だったのではないでしょうか。

 

 

ラッセルズはバーティの妹メアリーの夫ヘアーウッド伯爵の従兄弟という王室との繋がりもあり、娘の結婚式には国王夫妻も出席してます。 

このときには花嫁の父として嬉しそうでしたが、それから2年後の1951年の9月に一人息子を亡くすという不幸に見舞われます。

そして翌年、愛情と尊敬をもって仕えていた国王をも失うことになるのでした。 

 


Lascelles Wedding - 1949

 

彼自身は長生きして1981年に94歳で亡くなったので、今後もドラマに登場して欲しいですね。