史上最大の作戦
ヨーロッパにとって6月6日はフランスのノルマンディー海岸に連合国軍が上陸作戦を開始したD-Dayにあたり今年はその75周年となり、ポーツマスでエリザベス女王をはじめトランプ大統領など各国が参加し式典が行われました。
ドイツは招待されていないだろうと思ったらメルケル首相もいたのは、ちょっと驚き。
式典で女王は、私を含め戦争世代は達者で、今日ポーツマスにいられることをうれしく思うと演説していましたが、当時18歳だったエリザベス女王はもちろん、招待されていた退役軍人の皆さんは90歳を過ぎて健在なのはすごいことです。
演説の中で、お父様のことにもやっぱり触れていて、「当時 国への放送の中で私の父 国王ジョージ6世はこう言いました 我々全員に求められているものは勇気や忍耐を超えたものです」(BBCのニュース映像から)と述べていました。
その時の放送された内容です。 www.royal.uk
王室twitterには陛下の写真も載せていたので、さっそく保存。
『チャーチル ノルマンディーの決断』は、ガリポリの戦いで多くの兵士を犠牲にしたトラウマから、ノルマンディー上陸作戦の実行にひとり猛反対するチャーチルという映画でした。
その前にボリス・ジョンソン著の『チャーチル・ファクター』を読んでいたので、悪天候で延期になるよう神に祈る姿に、え~~こんなのあり得ないよぉ~と懐疑的に思いながら見てました。
図書館で読んだだけなのでうろ覚えですが、上陸作戦の真っただ中、波しぶきを浴びながら戦艦ベルファストに立つ自分の写真が新聞のトップを飾るのがチャーチルには見えたのだ、というようなことが書いてあり、目立ちたがり屋だなぁという感想を抱いたので。
もともとチャーチルはこのオーヴァーロード作戦はソ連を有利にさせるだけと考えていて、それよりもバルカン半島から攻略したかったのですが結局は北フランスからの攻撃に同意したという経緯があったようです。
ボリス・ジョンソンの本では、ヨーロッパ大陸の攻略がアメリカ主導だったのでここで大英帝国の存在感を示したいという解釈だったかと思います。
首相候補にさっそく名乗り出ているジョンソン氏ですが、そういうチャーチルの目立ちたがりとか威勢のよさとかを自らに重ねてなければいいのですが。
『チャーチル・ファクター』に書いてあるとおり、ジョージ6世はチャーチル首相との5月30日の昼食の会談時に、首相がHMSベルファストの艦上でオーヴァーロード作戦の最初の爆撃を見て海岸に上陸するという計画をもっているのを知ります。
さすがに作戦開始当日ではなくても視察したいと考えていた国王陛下は、首相を止めることはできないと思い、さらには自分も一緒に行くべきだと考えます。
妻エリザベスに相談し、彼女はいつものように励ましてくれて素晴らしい、と陛下はすっかりその気になって日記に書いてます。
ノリノリの二人とは対照的に、君主と首相が同時に海の藻屑となるかもしれない計画を知り唖然としたのはラッセルズ秘書官。
トミー・ラッセルズに猛反対されたバーティはしぶしぶながら計画をあきらめ、首相にも考え直すよう手紙を書きます。
しかしチャーチルは決心を変えなかったため、君主の同意なしに首相は海外へ行くことは出来ないとラッセルズがダメ元で忠告すると、ますます意固地になってしまい、バーティは2度目の、今度はチャーチルに嘆願する手紙を書くことになりました。
ここまでされ、ようやくチャーチルも上陸作戦を断念します。
内閣の同意が得られなかったからではなく、光栄にも陛下が首相個人の身の安全を案じてくれたからであり、陛下の意思に従わなければならないし、これは命令だから、とチャーチルは振り返っています。
結局、チャーチルは6月12日に、バーティは16日にノルマンディーへ上陸します。
これは秘書官ネタのときにも載せたノルマンディーの視察に向かう写真。
(写真引用元:RoyalFamily)
首相に負けず劣らず国王陛下も前線を視察し、兵士たちを激励して回ることを好みました。
もと海軍士官だということや、宮廷よりも現場にいるほうが性格に合っていたこと、何よりも君主としての役割を国のために担っていることを感じることができたからでしょう。
でも上の敬礼する写真の疲れた表情で分かるように、6年続いた戦争のせいでバーティはすっかり燃え尽きてしまったのでした。