ウィンブルドン・ローン・テニス・クラブ

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世の中、テニスで盛り上がっていますが、あの試合時間の長さに耐えられなくて最後まで見たことはないです。

 

 

英国の王室メンバーで唯一、ヨーク公アルバートウィンブルドンのテニスコートで試合をしています。 

華奢な見た目に反してアルバート王子は運動神経はよくスポーツマンでした。

ただし当然ながら学校で行うような団体競技は苦手。

そのため、テニスや乗馬、クロスカントリーなどバーティが得意であったスポーツに励むよう教官から勧められます。

軍学校時代に知り合った陽気なスコットランド人である軍医のルイス・グレイグはラグビー、テニス、水泳、ホッケーの得意なスポーツマンで、カンバーランドでの遠洋実習の間にバーティとテニスをすることもありました。

ジョージ5世から息子の病気について相談をされるなど王室と関わりをもつようになっていったグレイグは、病気により海軍をあきらめRAFに異動するバーティに同伴し公私ともに面倒を見ることになります。

RAFでグレイグはテニスのコーチをし、バーティとダブルスを組んで1920年のRAFの大会で優勝もしています。

 

 

テニスに熱心だった二人は、1926年のウィンブルドンの50周年記念大会にエントリーします。

運営委員はもちろん大歓迎でセンターコートでの試合を提案しましたが、バーティは公の注目を浴びない隅っこのコートを希望し、妥協案としてNo.2のコートで試合が行われることになりました。

男子シングルやダブルスの各種の大会で優勝した実績を持つベテラン(58歳と52歳)が相手でしたが、バーティはめちゃくちゃ緊張しまくりで冷静さを失います。

結果、あえなく1-6、3-6、2-6のストレート負けとなりました。

 

 

当時の映像を見ることが出来ますが…ガチガチになってすごくぎこちないです。

 


Share the Moment: King George VI competes at Wimbledon

 

 左手でラケットを使うので、ヨーク公が左利きというのが大衆に明らかになった出来事でした。

口さがない観客からは、Try the other hand ,Sir と言われたみたいですが。

 


観衆の前で恥をかいたこの試合がトラウマになったようで、バーティはこれ以降、公の場でテニスをすることはありませんでした。

グレイグはテニスに対する情熱を持ち続け、1937年にはウィンブルドン・ローン・テニス・クラブのchairmanに就任しています。