オーダー、クロス、メダル

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立憲君主制の君主は権力を持ちませんが権威を持っています。

その権威を最も象徴しているのが君主自ら与える勲章ではないでしょうか。

 


勲章と言うと軍人が左胸にじゃらじゃら下げているのが思い浮かびますが、あれはcrossやmedalであって勲章orderではありません。

こういう区別があるというのは『女王陛下のブルーリボン』(君塚直隆著)を読んで初めて知りました。
イギリスの最高位の勲章orderはガーター勲章で、バーティも1916年に20歳のときに授与されています。

ガーター勲章ガーター騎士団の騎士に与えられるもので、正装は下の写真のようなローブと羽がついた帽子になります。

 国王が首にかけているのがガーター勲章の頸飾、左胸にあるのが星章です。

 

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(画像引用元:The Royal Family)

 

 

父のジョージ5世がそうであったように、ジョージ6世はメダル授与式のような儀式を大事にしていました。

そういった場にふさわしい格好にも詳しかったのは、父がプロトコルに厳しかったので自然と身についていたのかなと思います。
軍功のあった軍人に対して国王自ら栄誉を称えメダルを授与する機会がたくさんありましたが、実にスムーズにこなしていたそうです。

当然、立ちっぱなしで、ある式典は2時間かかったとか。

 

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(画像引用元:The Royal Family)

 


こういう権威が必要とされる行事は、政治家ではなく君主から授けられてこそ有難味と感激があるものです。

国王としての存在意義でもあるので、バーティは並々ならない関心を持っていました。

労働党が政権を取ったのをいいことに、党によって勲章を与える対象者が左右されるのはよくないと、ガーター勲章の選定をシスルー勲章やセントパトリック勲章と共に国王の専決としました。

アトリー首相にしても儀礼が絡むことは面倒で、どうでもよかったのではないでしょうか。
おかげでガーター勲章については政治家が口を挟むことは出来なくなりました。

 

 

勇敢な軍人を表彰するものとしてヴィクトリア・クロスやミリタリー・クロスがありましたが、戦場以外の場で活躍した人に対するクロスはありませんでした。

ドイツ軍の空爆を受けたバトル・オブ・ブリテンのときに、爆撃された場所を視察して回った国王は、危険を冒して不発弾処理をする軍人や市民を救助する消防士たちを見ます。

彼らの行為を表彰しようと関係者に掛け合いますが、戦場ではないからミリタリー・クロス等には該当しないと断られ、バーティは激おこ。

そこでバーティは、銃後で活躍した軍人や、勇敢な行為のあった民間人を称えるため、ジョージ・クロスを作ります。

デザインも考え、クロスを下げるリボンの色をどうするか兄のエドワードにアドバイスを求めたりもしています。

このジョージ・クロスはヴィクトリア・クロスに次ぐランクとなります。

 

 

このクロスを住民すべてを対象として与えたのがマルタ島です。

この島は地中海の重要な拠点であるため、第二次大戦中にイタリア軍の猛攻を受けましたが、最後まで降伏しませんでした。

枢軸国がいるシシリー島はわずか60マイル先で地中海に敵はまだいましたが、マルタ島を直接訪問し彼らの勇気を何としてでも称えたかったジョージ6世は、危険を冒し夜更けに密かに北アフリカトリポリを船出し早朝に島に到着します。

国王が来るということは直前に知らされた島民たちでしたが、大勢の兵士や市民が港に出迎えに来ていました。

ジョージ6世の行く先々で、島民たちは花や旗、紙吹雪で大歓迎。

国王は大感激です。(読んでいて、その光景を想像しちょっとうるうるしました)
1964年にイギリスから独立するマルタ島ですが、このクロスを誇りにしていた島民たちは国旗のデザインにジョージ・クロスを取り入れています。

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( 画像引用元:Republic of Mlta) 

 https://www.gov.mt/en/Pages/home.aspx

 

 

orderといえば新元号が「令和」と決まったときにBBCがorder and harmonyと訳していましたが、さすが法と秩序を重んじるイギリスらしい上手い訳だなぁと感心しました。