セント・アンドリュース・ゴルフ・リンクス
テニスの次はゴルフ。
兄エドワードは来日時にゴルフをしたというエピソードにもあるようにゴルフ好きですが、弟アルバートも下手ではなかったようです。
ヨーク公時代の1923年にスコットランドにある名門ゴルフクラブのロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフ・クラブ・オブ・セント・アンドリュースゴルフ(長い…)の名誉会員になり、1930年にキャプテンに就任しています。
バーティの項の上にはエドワードのエピソードも書いてありますが、兄は1922年にキャプテンになっています。
このキャプテンというのが良く分からなかったので検索してみると、日本ゴルフ協会の広報誌に、2012年にR&Aのキャプテンに就任した人へのインタビュー記事がありました。
それによると、一般的にメンバーシップ倶楽部のキャプテンは会員の代表であり倶楽部対抗競技などのチーム代表なども務めます。
インタビューを受けたキャプテンは、R&Aのゴルフ大使としての役割も重要と言っていました。
キャプテンは大勢のギャラリーが見守る中、最初にショットを打たなければならない行事があるようです。
フェアアイルセーターでばっちり決め景気づけのウィスキーを引っ掛けて現れたプリンス・オブ・ウェールズが打ったショットは、50ヤード先の柵にぶち当たるというずいぶんとへっぽこな一打でした。
これに対しバーティは、兄のようなぶざまな真似はしまいと密かに対抗心を燃やして特訓をし、みごと200ヤードを超えてフェアウェーにまっすぐに飛びます。
さすがスポーツマンですが、我慢と冷静さを強いられるゴルフは性格に合わなかったようで、兄のように熱心に励んではいません。
この行事のことも先のインタビュー記事に書いてあり、R&Aキャプテンに就任すると、お披露目の競技会が開催され、セントアンドリュースオールドコースの1番ホールで大勢の関係者が見守る中で、年代ものの大砲の発射とともにティーオフするそうです。
出場者はひとりでティーオフした段階で優勝者となります。
これは……めちゃくちゃ緊張する行事ですね。
R&Aによると、バーティは最初に金属製シャフトを使用したキャプテンであること、アルバートとサインしたボールが英国ゴルフ博物館に展示してあること、テニスは左利きでもゴルフは右利きであったこと、40人のキャディーに囲まれて打ったこと、が書いてあります。
ギャラリーの数はエドワードが6000人に対し、バーティは2000人。
さすが魅力の王子。
少し説明を加えると、お披露目会の一打のボールを運良く拾ったキャディーは、それをコインと交換できます。
ボールを拾ったキャディーに金貨を渡すのはエドワードが始め、それ以来の伝統となっているそうです。
ヨーク公のキャプテン就任お披露目会では、兄のへっぽこショットがあったので弟も飛ばせないと思い込んだキャディーたちは、バーティを囲んでボールを待ち構えていたのでした。
探してみたら映像がありました。
オールドコースかと思っていたらnew public courseという説明文が。
セント・アンドリュース・ゴルフ・リンクスには幾つものパブリックコースがあり、ニュー・コースもそのうちのひとつだそうです。
兄エドワードの映像も探してみたらありました。
Edward VIII Prince And King Part 5 (1936)
様々なスポーツに造詣が深いプリンス・オブ・ウェールズの活躍、というニュース映像なのですが、セント・アンドリュースのへっぽこショットと思われるものや障害競技で落馬して周りが大慌てする様子など、ちょっと笑えます。
プリンス・オブ・ウェールズは乗馬も下手で乗っているより落ちているほうが多い、とロジーナ・ハリソン著『わたしはこうして執事になった』に書いてありました。
バッキンガム宮殿前でのTrooping the Colourを父と弟との3人、または兄弟4人が馬に乗って行う映像を見ると、確かに長男の乗り方はあぶなっかしい感じはします。