ファーザーズディ

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父の日ということで、こういうタイプのお父さんは煙たいし、うっとおしいし、実家にいたら近づきたくないなぁ、と思ってしまうジョージ5世について取り上げてみます。

ジョージ5世は次男として生まれたので王位を継ぐ予定はなかったのですが、兄が若くして亡くなったため王位継承権が繰り上がり、兄の婚約者だったメアリー・オブ・テックと結婚することにもなります。

親子ともに次男坊でありながら国王になったことになりますが、バーティと違って将来の国王となることが確定してから18年後に王位に就いているので準備期間はありました。

ロシアのニコライ2世とは従妹同士でとてもよく似ていたそうで、二人並んで撮った写真も残されています。

海軍士官時代の若いときに兄と共に日本に立ち寄り、明治政府から晩餐会に招待されています。 

日本滞在中に龍の入れ墨を彫ったそうで、ドラマ『プリンス~英国王室もうひとつの秘密~』では即位が決まったときに入れ墨にお別れをする場面がありました。

 

 

親子勢ぞろいの写真。

子供たちは右から次男、長男、五男、四男、三男、長女だと思います。


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(画像引用元:デイリーテレグラフ

 

映画やドラマに登場するジョージ5世は非常に厳格で規律にやかましい人というふうに描かれ、子供たちとはいい関係を築けるようには見えません。

彼らに対し強圧的で絶対君主であり自由な行動も制限していたので、息子の立場だったら反感を抱いても仕方がないと同情はします。

父から見ると軽薄だと嫌うことをわかっていてジャズやカクテルといったアメリカ的な流行に熱心だったりと、長男エドワードがことごとく従来の王室のやり方を否定してみせたのは、父親への反発が根底にあるのは間違いないです。

 

 

兄よりは親子関係は良好で信頼されていた次男ですが、ヨーク公ひとりでの公務の報道写真を見た父から、侍従の立ち位置が違うとか侍従は後ろを歩かせないと士官に失礼だとかいう手紙がきて、視察が終わったあとに撮られた写真だからと息子は釈明をしています。

こういうふうに、いちいち細かいケチをつけてくる父親なんて嫌ですねぇ。

ある人が会話の中で自分の父親について愚痴をこぼしたところ、私の父とそっくりだ、父も同様に私の意見をまったく聞こうとしてくれなかった、と憤ったというエピソードもあったり。

息子たちだけでなく娘のメアリーにも厳格でしたが、彼女は反発することもせず従順に親の言われるままであったようです。

愛情をもっていなかったわけでなく子供の気持ちについて無理解なだけだったと国王一家と親しかった人が述べたように、家庭にまで公務をもちこむタイプですかね。

 


ジョージ5世は政治が潤滑に行われるよう調整を働き、欧州の君主が危機に陥る中で王室の生き残りのために改革を行ったりと、公務に対する仕事ぶりは真面目で厳格で周囲の側近たちからは厚く信頼され尊敬されていました。

『女王陛下の影法師』にも新任秘書官補ハーディングには慈父のような存在とあり、良き上司であったことが伺えます。

昨年の第一次世界大戦終結100周年にちなんだ新聞記事の中で、皇太子時代の昭和天皇1921年にイギリスを訪問したときに、ジョージ5世からヨーロッパの激戦地の跡を見るよう勧められたということが書いてありました。

大戦で日本はあまり犠牲を払わず利権を得ていたことから、総力戦がもたらす悲惨な現実を若い皇太子に知ってもらいたかったそうです。

昭和天皇もジョージ5世をお手本としていたのは、ジョージ5世が父親のように親身になってくれたからかなと思います。

 

  

良き上司であっても良き家庭人であるとは限らず。

公務に忠実で国の状況が厳しいときには自ら範を示すなど自分に厳しいからこそ身内にも厳しくなったのかも。

けれども冷たい父親だったかというとそうではなく、海軍で訓練中のバーティへ父親らしく心配する手紙を書き息子も愛情をこめた手紙を返しています。

父親と同じ即位名を選んだことから分かるようにバーティは両親を深く愛し尊敬していましたが、内気な性格のため父親の前に出ると萎縮して思ったことも言えなかったのかもしれません。
海軍時代に病気療養をしている間、父と二人でバッキンガム宮殿にいることが多くなり、バーティは国王という仕事を間近に見る機会に恵まれました。

王になる教育を受けてこなかったとくどいたバーティですが、お手本とする父の仕事を直接学ぶ貴重な時間であり父子の距離も縮まったのではないでしょうか。
その後、晩年になったジョージ5世は長男との関係性は悪化する一方で次男とは良好な関係でした。

英国王のスピーチ』のセリフで家族というより会社family firmとありましたが、会社と家庭を分けることができなかった父は、会社を継ぐ長男のことを案じつつも次男に継がせたいと思いながら亡くなります。

 

 

自分の子供たちには厳しかった父ですが、息子の嫁には大甘で、笑い話としてよく引用されるエピソードがあります。
ジョージ5世は時間厳守を家族や使用人に命じていました。

一方、のんびりした嫁のエリザベスは時間にルーズで、皆はきっちりと時間通りに朝食のテーブルについているのに彼女は遅刻。

しかし舅は嫁に対し「エリザベスや、お前が遅れたのではない。皆がちょっと早く来すぎたのだ」と言ったとか。
孫のリリベットには、もちろんめろめろなおじいちゃんでした。