生誕123年です
(画像引用元:Sandringham House 公式サイト)
12月14日は陛下の誕生日!おめでとうございます。
でもキリがいい年数ではないし…と思ったら123と並びがよかったです。
123年前の今日、プリンス・アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ・オブ・ヨークは、ヨーク公であるジョージ王子(のちのジョージ5世)とメアリー(・オブ・テック)夫妻の次男としてサンドリンガムのコテージにて生まれました。
ひいおばあちゃんのヴィクトリア女王はまだ健在で、女王の夫アルバートの命日に生まれたことからアルバートと名付けられます。
家族からの愛称はバーティ。
王位継承権は祖父、父、兄に続いての4位となります。
そのあとの幼少時のことはライオネル・ローグの本にも書いてあるので省略。
当時の王室の常で育児は雇われナニーがしました。その乳母からは虐待を受け、あまり幸せとは…。
両親も、ヴィクトリア女王が亡くなったあとますます公務で忙しく、子供たちと接する時間もあまりなかったのではないかと思います。
一家と親しかったエアリー伯爵夫人の見解では、両親は厳格なわけでも子供たちを愛していなかったわけではなく子供の心について無知だったということですが。
どう見ても、父の海軍仕込みの規律は幼い子供に対して厳格過ぎ。
それでも母は夕食前のひととき、一緒にスワニーリバー、草競馬、愛しのクレメンタインを歌うなど、子供たちと時間を過ごしていた様子がうかがえます。
ジョージ5世とメアリー王妃の間には5男1女がありました。
それぞれの生年と没年を並べますが、長男と次男は1歳違いなのでずっと比較されることになります。
エドワード 1894年生まれ 1972年没 77歳
アルバート 1895年生まれ 1952年没 56歳
メアリー 1897年生まれ 1965年没 67歳
ヘンリー 1900年生まれ 1974年没 74歳
ジョージ 1902年生まれ 1942年没 39歳
ジョン 1905年生まれ 1919年没 13歳
以下に簡単な年表も載せておきます。
0歳 1895年12月 サンドリンガムハウスにて生まれる。
5歳 1901年 1月 ヴィクトリア女王崩御。エドワード7世が即位。
13歳 1909年 1月 オズボーン海軍学校に入学。
14歳 1910年 5月 エドワード7世死去によりジョージ5世即位。
15歳 1911年 1月 ダートマス海軍兵学校に入学。
17歳 1913年 1月 巡洋艦カンバーランドで航海実習。
同年 9月 戦艦コリングウッドに配属。
18歳 1914年 8月 第一次世界大戦。
20歳 1916年 5月 ユトランド沖海戦に参加。
21歳 1917年 5月 戦艦マレーヤに異動。
同年11月 十二指腸潰瘍の手術を受ける。
22歳 1918年 2月 RAFの前身の英国海軍航空隊へ異動する。
同年11月 第一次世界大戦の停戦
23歳 1919年10月 退役後、ケンブリッジ大学に1年間通う。
24歳 1920年 6月 ヨーク公爵の爵位を与えられる。
エリザベス・ボーズ=ライアンと出会う。
27歳 1923年 4月 エリザベスと結婚
30歳 1926年 4月 長女エリザベスの誕生。
34歳 1930年 8月 次女マーガレットの誕生。
40歳 1936年 1月 ジョージ5世死去によりエドワードが王位に就く。
同年12月 エドワードが退位。代わりに王位に就く。
43歳 1939年 9月 ドイツに宣戦布告
1940年 5月 チャーチル第一次内閣の発足。ダンケルクからの撤退。
同年7月~ バトルオブブリテン
46歳 1942年 8月 弟ジョージが軍務中に死亡。
48歳 1944年 6月 ノルマンディー上陸作戦
49歳 1945年 5月 VEデー
51歳 1947年11月 エリザベス王女の結婚。
52歳 1948年11月 孫のチャールズ誕生。
53歳 1949年 3月 右脚の手術
55歳 1951年 9月 癌による肺の手術
56歳 1952年 2月 サンドリンガムハウスにて就寝中に死去。
経歴等はwikiとかを読んでいただければいいので、それ以外のエピソード等々を取り上げていきたいです。
名前の表記ですが、同一人物なのに呼び方がいろいろあって混乱するかもしれません。
本人:ジョージ6世、バーティ、アルバート、ヨーク公
妻:エリザベス、エリザベス王妃、エリザベス皇太后、クイーンマム
長女:リリベット、エリザベス王女、エリザベス女王
兄:エドワード、エドワード8世、ウィンザー公、デイヴィッド
母:メアリー皇太后、メアリー王妃
父:ジョージ5世
王太子や王太后とするのが正しいのでしょうが、日本ではチャールズ皇太子と呼ぶのが一般的なので厳密な表記はしません。
呼び方も、年代によって区別されるのですが、あまりこだわらずに書きますので。